子どもの成長を思い通りになるかどうかで判断しない
教育に携わる者として、「何がこの子にとっての成長か」という問いを立て続けることはとても大切だと感じます。
勉強で以前は解けなかった問題が解けるようになった、友達に思ったことを言えるようになった、逆に言わないことで傷つけなくなった。
挙げ始めるとキリがありませんが、私の場合は子どものどこを見ていてどんな感情を持ちどう判断しているかをなるべく客観的に測るようにしています。
していると言っても今は子どもに関わることがメインの仕事ではなくなったので、正確には20代の頃はそれをものすごく意識していたということですが。
板書の力と問いを立てる力
以前ボランティアで子どもと関わっていたところで授業をしていた年配のベテラン
教師が、いつものように授業を進めていてある子どものことを誉めていました。
「○○はきれいにノートをとっているなぁ。うん、ちゃんと答えも合ってる!」
そう言ってとても満足そうにしていました。
その子のノートを見てみると、確かに先生が黒板に書いたそのままをとても丁寧に板書することができていました。
問題はどのようにして解いていたかというと、先生が回ってくるタイミングで先生が答えに導いているだけ。
ほとんどが先生に解いてもらっていたようなもんでした。
これでは問題を解く力がつかないどころか、何をメモして何をメモしないかの判断もせず思考停止し作業の時間になってしまうのではと、先生にその想いを伝えました。
すると、その先生は「おっしゃる通り!注意します!」と言ってくれ、次回の授業から改善してみるとのことでした。
安心して後日授業を見ていると、改善は全くされず同じようにその子に対応していました。
何度も何度も同じことを別の言葉にしたりして伝えもしましたが、結局最後まで授業のスタイルが変わることはありませんでした。
なぜ授業のスタイルは変わらなかったのか。
変えようとは思っていたけど長年かけて築き上げたスタイルを簡単に変えることができなかったのか、先生自身は変えているつもりだったのか、そもそも変えるつもりはなかったのか。
今となっては原因はわかりませんが、「あの子はどんどん理解していってる!」と日々ご満悦だったので、恐らく【成長】の捉え方が違うんだろうと思いました。
授業をかき乱したり、私語が多かったり、宿題をやってこない子が、それとは反対の行動をとった時にそれを【成長】と捉えるのかはその人次第。
目の前の子どもの将来を想い、その子にとって望ましい行動の変化や成果を成長と捉えたのか。
それとも自分の望んだとおりに動いたり発言したりすることで自分自身が安心しそれを単に成長と言っているだけなのか。
後者だとすれば、いわゆる問題児が問題を起こし続ける限りその子の成長は一生訪れないのかもしれません。
それは、お互いにとってとてもマイナス。
成長を感じることができない大人と、何をしても怒られ続け扱いにくいとされる子ども。
子どもの成長と言っている以上、自分の感情が導くものと子どもが起こした事実は別で解釈しなければいけないと考えています。
大人にとって都合のいい【成長】の枠にはめないように、私自身も注意していきたいと思います。
最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。
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