これだけは何度でもいつまでも伝え続ける
「三科さん、久し振り!」
電話越しにそう言って元気な声を聞かせてくれた彼女と話すのは、彼女が救急車で運ばれたと知った夏以来。
以前から手紙のやり取りをしていたが、ようやく再び声を聞きながらこれまでの経緯と未来について話すことができた。
「私の話し、映画化されるかな(笑)」
そんな風に自らの経験を笑える瞬間もあれば、
「看護師さんは、「元気になって学校に行こうね!」って言う!あんなにがんばっていこうとしたのにもっとがんばれって言ってくる!」
と、未来に絶望を感じていることを伝えることもある。
プロとして冷静にならねばいけないと意識をしながらも、周りの大人の話しを聞くと怒りで心拍数が増えて体が震える。
学校に行けないというだけで子どもの命が脅かされるという現実と同時に、ここまで無神経に子どもを追い詰める大人の存在がそこにはある。
これだけ多様で変化が著しい時代に、学校教育を絶対視することがどれだけリスキーであるかはコロナ禍で十分に感じたはず。
それなのにこんな現実がずっと続いている。
こんな何の保障もない学校教育を根強く支持しているのは、紛れもなく私たち市民である。
絶望と同時に責任を感じる。
彼女は、
「私が学校に行けへんからこんなことになったんやんな?じゃあ私が悪いんやん!」
と、これでもかと自分を責め続ける。
お前は悪くない、家族も悪くない、悪いのは学校に行くことしか選択肢を与えなかった大人だと何度も何度も僕は伝える。
そして、その選択肢を未だに作ろうとしない社会とそれを構成する僕を含めた大人だと。
何度言ったらわかるんだ。
何度同じことを説明すればこの社会を変えることができるんだ。
怒りと悔しさを自分や周りに伝えるだけでは何も変わらない。
無力感に苛まれて下を向いていても何も進まない。
これ以上お前を苦しめる大人を絶対に許さない。
必ず守る、と。
だから、一緒にリハビリがんばろう。
オンラインでビデオ通話しようねと伝えてその日は終わった。
現実は厳しい。
そんなことはわかっている。
それでも動かなければ何も変わらない。
皆さんも一緒に「ここ」に関わる子どもたちを見守っていただければと思います。。
最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。