あなたにとっての煉獄と炭治郎は誰ですか?

眠れない日が続いたので、鬼滅の刃を読み返している。

3周目。

映画は2度観た。

観た後は泣き過ぎてしんどくなって、二度と観るか!と思うものの煉獄さんのメッセージを聞きたくなって足を運んでしまう。

※ネタバレあります。

炭治郎が猗窩座に向かって「逃げるな!煉獄さんの勝ちだ!」と叫ぶシーンは、何度観ても胸が張り裂けそうになります。

そして、それを見て最期の言葉を炭治郎に遺す煉獄さん。

僕が一番印象に残っているのは、煉獄さんが最期の最期まで自分のことには触れずに周りの家族や仲間、後輩たちのことを思い接し言葉を残すシーンです。

最期にお母さんが見えてお母さんに心の中で問いかける時だけが唯一自分のことなんです。

天から授かった自分の力は弱者のために使いなさいとお母さんから言われ、それを忠実に守り通した煉獄さんだからこそ、最期まで自分以外の人のために生き抜くことができたんだなぁと思います。

自分が子どもの頃にこんな大人と出逢っていたらどう感じただろう。

そして、自分よりも遥かに強くて正義感が強くて先を走っている先輩が、この世の悪ともいえる存在に勝てなかった時、どう感じるだろう。

その人がどれだけ正しくても、相手がどれだけ悪だとしても、命が不条理に奪われたり敗北することが往々にしてこの世にはあるという現実を子どもたちは疑似体験してどう感じるんだろう。

大人ならば誰しもが炭治郎のように叫び苦しんだ経験が一度や二度はあるだろうが、子どもにこの現実は辛すぎる。

炭治郎が再びあの後前を向いて歩けるようになるのは、煉獄さんが遺してくれた言葉の存在が大きいように思う。

それがなければ僕ならば進めない。

ならば、この現実の中で自分にとっての煉獄さんのような人がいるかと言われれば、幸運なことに僕には存在する。

ものすごく厳しいけれど僕のことを思って動いてくださっていることをいつも感じ、どんどん前を突き進み人のために道を切り開く人。

その背中を追い続けながら、いつもその煉獄さんが見ていると感じるからこそ踏ん張ることができる。

炭治郎のように生きることはなかなかできないけれど、物事を深く考えながらも結論はシンプルに速く下し動くことができるようになりたい。

これからも煉獄さんの背中を見て、心の中の炭治郎と会話をしながら人のために前に向かって進みたいと思います。

【編集後記】

鬼滅の刃のキャラの中で、自分に似ているなぁと感じるのは善逸。

実は強いというところを除き、いつもギャアギャアと叫び逃げ回り「怖いよ怖いよー」と言っている姿は自分そのもの。

霹靂一閃を打つ時は、お腹を下しトイレに駆け込む時と落ちているお金を見つけた時だけ。

これからは吹田の善逸とお呼びください。

最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。

よもやよもやだ。