大人も子どもも迷惑はかけまくっていい
昨日のオンラインシンポジウムはいかがでしたか?
アーカイブが残っているのでまだの方はぜひご覧ください。
個人的にはめちゃくちゃおもしろかった。
梶原さんの不登校や子育てに関する考え方が「あぁ梶原さんらしい温かさだなぁ」と感じる伝え方で、一方で「そんな風に感じてはったんだ!」と思えるようなことも聞けました。
よくよく考えれば、今まで梶原さんとお話しをさせていただく時はほとんど梶原さんが聞き手になってくださってたんだと昨日のシンポジウムを見ていて思いました。
どーんと後ろでバンドを支えるドラマーらしい聞き上手の梶原さんに、今までずっと甘えて「これがこんなことでもうどかーん!なんですよ!」とただただ愚痴を言っていたんだと恥ずかしくなりました。
そして、僕が一番印象的だったのは「なんとかなるんですよ」と何度も仰っていたこと。
これはもう僕の周りの仙人クラスの先輩方はだいだい言うんです。
未熟な僕は「なんとかなってないからこんなにしんどいんじゃー!」と叫ぶのみ。
それを何も言わず、うんうんと聞いてくださることがどれだけ心強いか。
僕なんかでは到底想像もできない困難なことに散々苦しめられて、それでも今命があるということに感謝をしてなんとかした経験が何度もあるからこその言葉なんだろうなぁと、梶原さんの言葉からも感じました。
あとは、「人はそれぞれの価値観がある」という大原則。
それがたとえ親子であれ家族であれなんであれ違う人格を持った違う人あんだということが、ついつい忘れられ軽視されがち。
まして子どもは自分の気持ちを言語化できなかったり意見を表明する機会やそもそもその権利があるということも剥奪されている場合が多いと感じます。
梶原さんは、「子どもは一生親に迷惑をかけ続けていい」とも仰っていました。
不登校になる前、親に心配をかけまいと無理をしてでも学校に行こうとしたり、いじめがあっても親には言わず自分の中に留めておこうとした子どもに今までたくさん逢ってきました。
親からしても、特にお母さんは他の家族に迷惑をかけまいと子どもに厳しくしたり、先生や学校にまで気を遣い一人でその問題をなんとかしようと孤軍奮闘されます。
迷惑、かけていいんですよ。
フリースクールに来ている子どもに、「それ何であの時言わんかったん?」と思うことはよくあります。
「いやー、気を遣わせそうで…」「迷惑かなって…」と返事が返ってくることも。
恐らくそうやって周りに気を遣うことに慣れて、自分の気持ちを伝えたり主張することをずっと抑えてきたんだろうなぁと感じます。
ただ、フリースクールに慣れるとその反動でどこまで主張すればいいんだと試すことにもなるので、それはそれで馬場からの雷が落ちるのですが仕方ないですね(笑)
だから、子どもはもちろん大人ももっと周りに迷惑をかけていい、迷惑を気軽に掛け合える社会でいいんじゃないかって思いました。
子どもが不登校になった時、まずは大人が迷惑をかけてもいいんだと迷惑人になることを示してあげることも大切かもしれません。
昨日のシンポジウムでは、そんなことを感じました。
皆さんはどんなことを感じましたか?
よければコメントください。
最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。