適応指導教室の名称変更よりも大切なこと

各市の教育委員会の皆さんとお話しをしていて、市町村の不登校支援事業で「適応指導教室」というものがあって昔からこの名前を何とかしてくれという反発があったそうです。

僕自身、大学生の時にこの名前を聞いて「大学からそのまま学校に行った先生なんて社会のこと全く知らんねんし、子どもたちに適応指導してもらうんは先生なんやからどうしてもこの名前を使うんやったら支援者は子どもで支援を受けるのは大人にしろ!」と思っていました。

そういう批判を受け、各市で「教育支援センター」とか「教育支援教室」と名前を変えているみたいです。

全体としてはいい傾向にあるなぁとは思いますが、今となってはその名称も正直ほとんど気になりません。

むしろ、適応指導教室は通称「適指」と関係者はずっと言っていますが教育支援センターは「教セン」とは言わないですから。

教センは、教育センターなのでもうややこしい。

だからいっそのこと適応指導教室はこのままこの呼び方で使って、過去の経緯の責任を取るために残してもいいんじゃないかとふと思った自分のことを省みた時、不登校の子どもたちを支援する(この言葉も嫌い)立場であまりにも長い間いたので感覚が変わってしまったのかなと思いました。

よく考えると、変えたいのは名前じゃなくてもっと別の所になったからじゃないかと。

本来なら、

「適応って言うけど学校に子どもが適応できないんじゃなくて、あれだけ個別最適化って言ってる学校が個別に最適な教育や関わりができてないことで学校に行けないんやから責任転嫁やないか!この子たちの教育を受ける権利をしっかり保障したうえでどう考えたって名称がおかしいからそこも同時に変えよう!」

という流れが一番いいと思っています。

ただ、その中身自体がない(機能していない)ばかりか、未だに学校復帰一辺倒で学校教育至上主義な排他的で多様性のない社会と価値観に苦しめられている親子が年々増え続けているという現実に立ったうえで、過去の反省を踏まえ各市で方針を打ち出すことがその親子にとってどれだけ心の支えになるかを理解しているかいないかで、同じ動きでもずいぶんと景色が変わってくると考えています。

もちろん適指の名前が変わるのには大賛成。

1日でも早く僕たちも「適指」なんて言葉は過去の過ちが生み出した言葉として廃棄をしたいしそれに代わる名称がほしいと思っています。

ただそれらのことを考えた時、名前を変えることが目的にならずに何を目的とし何を手段として名称変更を選んだのかも同時に語り続けなければいけないと思います。

丁寧にコツコツと推し進めていきます。


最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。

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