不登校とプロテクター
吹田校【あまかり】は、今日も灼熱の部屋。
しばらくいると頭がボーっとしてくる。
常に弱い負荷がかかっていて、これを乗り切ると普段のクーラーの効きがさらに増してエコに過ごせそうという錯覚さえ起こす。
精神と時の部屋状態。
危険なのでサーキュレーターの風を浴びながら短時間で仕事を済ます。
夕方からはサーフスケート用のプロテクターを買いに梅田へ。
これだけ怪我をしまくっておいて今更感があるけど、身をもって危険なことがわかったからこそその必要性もちゃんと感じることができた。
そして深夜の運動。
足がプルプルと震えて動けなくなるくらいに追い込んで汗だくになって帰ってきて布団に入ると、いつもより深く眠れるような気がする。
河川敷で自転車を走らせていると、虫の声と風が心地いい。
時間がゆっくりと流れる。
こんな時は楽しいことを考えたいけど、最近はそうもいかない悲しい現実。
そんな頭をなんとか切り替えようと闇雲にサーフスケートを走らせる。
プロテクターのおかげで思い切った走りもできる。
こけても大丈夫と思うことがこんなにも不安を和らげるとは思ってもみなかった。
人生も同じ。
一度失敗したら取り返しのつかない大怪我を負って、最悪一生の傷を生むんだと思っていたらチャレンジしようにも二の足を踏んでしまう。
不登校ってそんなイメージ。
「もう大人になれない。」
「このままひきこもりになるんだ。」
「仕事もできずに高校や大学にも行けないなんていやだ。」
そんな子どもの声を今までどれだけ聞いてきたか。
質の悪い冗談なんて表現はまだマシ。
そんな嘘で固めてまで学校に行かそうとする文化や価値観がまだまだ根付いている。
根付かせているのは誰か、ちょっと考えればすぐにわかる話し。
耐えて耐えて耐えて、先生や大人の言うことを聞いて、そうすれば立派な大人になるための通行手形をあげるよ。
そんな風に言われているように感じて子ども時代を過ごしたのは僕だけでしょうか。
でっかい傷を負ってフリースクールに来た子どもたちと、丁寧に日常を取り戻す。
ゆっくりと一緒に時間と空間を共有することで、少しずつ傷が癒えていく。
「三科さん、あの時はもうあのケガで立ち直れへんと思ったけど、プロテクターを付けたら意外とこわがらんと挑戦できたわ!」
そう言って社会に飛び出していった卒業生を100人以上見てきた。
卒業生がいらなくなったプロテクターを今の生徒たちに残してくれる。
「あそこの壁を越えるのにはあいつはあの形のプロテクターを使ったな!じゃああの子にも薦めてみよう!」
14年フリースクールをしていると、そんなこともどんどんわかるようになってきた。
不登校が膝を擦りぬいたくらいのケガで済むように、たくさんの種類のたくさんのプロテクターを色んな所に準備ができる、そんな社会が理想です。
最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。