今年も8月31日がやってきました。
夏休みは既に明けている所がほとんどなのでもう9月1日の自死率の高さが明日に当てはまることはないのですが、SNSで「学校行きたくない」と検索される数が高まれば子どもの自死率も高くなるという統計が出たり、今年の上半期が昨年の過去最多を既に上回っていたりと目を覆いたくなるような現実ばかりです。
不登校を経験しても元気に過ごしている社会人になったフリースクールの卒業生がたくさんいること、学校以外でも学び育つ場所があること、それらを支える人や心配している人がいることを毎年この期間に知ってもらうためのイベントをしてきました。
そして、今日もまた悲しいニュースを目にして無力感に打ちのめされます。
こんなことをどれだけやっても子どもの命を守ることは不可能なんじゃないかと思うこともあります。
子どもの命を守りたいと言って汚いことをする大人にまたガッカリしてもう何もしたくないと思うこともあります。
それでも、目の前の子どもたちは目を輝かせて思いっきり遊んでくれます。
この子たちに今できることを精一杯やろうと、梅雨の時期から毎月1回のキャンプを計画。
もうものすごいスピードで子どもは成長するし、あらゆる”チカラ”がこういう経験から得られるんだなぁとひしひしと感じます。
この子たち、大袈裟でもなんでもなくて、学校に行けないというだけでそれこそ命を失ってしまっていてもおかしくない過酷な経験を乗り越えてきた子がほとんど。
今も毎日のように見学や相談があるけれど、初日の彼らはもう地獄の狭間にいるような表情で今とは比べ物になりません。
そんな経験を乗り越えてきたからこそなんでしょうか。
不登校の子どもたちに共通することはありますかと聞かれると、必ずお答えすることがあります。
それは、”みんな純粋で素直”だということです。
ホントなら大人を恨み社会に怒り、家族との関係を断ち独り殻に閉じこもって人生を終えていてもおかしくないはずなのに、この子たちはなお誰かの役に立ちたいと声を上げてくれます。
その姿勢はとてもキレイで美しいんです。
自分の経験が他の誰かの役に立つのならと、今しんどい思いをする大人や子どものために意見を表明してくれます。
これまでに何度もシンポジウムや座談会を開いてきて、「ここ」の生徒の想いを聴いてくださった方もおられると思いますが、親バカでもなんでもなくこの子たちの言葉以上の説得力を誰も持ち合わせてはいません。
僕ももう一度この子たちが何を訴えどう感じどのように動いてきたかを思い出します。
「子どもと大人、先生と生徒じゃなくて一人の人間として接してほしい。」
「その子の気持ちを丁寧に聞いてあげてほしい。」
「どれだけたくさんの”例”を集めても、”その子”に当てはまることなんて絶対にない。」
「学校は行きたければ行けばいい。私は合わなかっただけ。」
「一日でも早くフリースクールに出逢えてればよかったって思う。」
「フリースクールにきてなかったらオレは犯罪者になるか死んでいたと思う。」
「お母さんの泣いている姿を見るのが一番つらかった。」
「生きていてもいいんだって思えた。」
「未来はあるんだって、虹色で無限なんだって初めて感じた。」
「お母さん、お父さん、ありがとう。」
皆が「ここ」に来てくれて、生まれてきてくれてホントによかった。
出逢ってくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。
2021年の8月31日に寄せて
三科元明