生き残るための条件
こんばんは。
ストレスを感じると一瞬で眠ることができる三科です。感じなくても寝れるんですけどね。
断捨離をしています。
もしかしたら使うかもと思う物は迷わず捨てることにしました。
服は同じ物しか着ません。
スーツも3着あればローテーションできます。
夏物は中途半端に残っているので夏が過ぎれば全部捨てようと思います。
仕事に3着、プライベートに3着。
あとはアウターがあれば十分。
今日はその服を買いに中ノ島へ。
高い買い物なので何度も試着をし頭を抱え迷った末に買った物が、まさかのサイズ違い。
それに気づいたのは家に帰ってから。
仕事を済ませ再び中ノ島へ。
「え?」
という表情の店員さん。
「あー、そのー、買ったやつが試着したやつと違いまして…。」
おっちょこちょいも末期かもしれないと思った日曜日。
気分がスッキリしたような落ち込んだような、そんな日曜日。
でもこれでもう一度断捨離。
人との関わりも厳選。
自分が大切にしたいことさえブレなければ必要以上の付き合いは不要。
限られた時間を大切なことに使いたい。
限られた時間を大切なものの価値観が違う人たちに利用されたくない。
教育や福祉の世界に入って思うことは、案外子どもや他人の命は大切にされないということ。
20代は社会との喧嘩に明け暮れた。
30代はその社会の可能性を信じた。
そして、それらを踏まえ40代はどうするのかが少しずつ見えてきた。
甘ちゃんだったなぁと思うこと、がんばったなぁと思うこと、謝っても謝り切れないなぁと思うこと、とにかくたくさん経験した。
大切な人たちの役に立ちたいとは思うけれど、役に立てるとは思えない。
だから未来の自分が理想の自分に近づけるように努力は続けようと思う。
今日はある生徒の受験の日。
その子は、「ここ」に来た当初は今でも語り草になる程しんどそうだった。
自分を否定し他人を否定し今と過去を否定し続けた。
でも、そんなことはしたくない、否定なんてできないと純粋で優し過ぎる心を持っていた。
その本心に抗っていることは当時の彼からにじみ出ていた。
だから、どれだけ暴れても絶対に人を傷つけるようなことはしなかった。
その優しい心を周りの皆はちゃんと見ていた。
いつからか、50人超の子どもが集まる「ここ」をひっぱる生徒になった。
いつも皆を楽しませたいというサービス精神に溢れ、コロナ禍でも安心して取り組める色んなイベントを企画してくれた。
当時の周りの皆が彼の本当の姿を見ていたように、きっと神様も彼の努力を見てくれている。
目の前のお金や利権に飛びつき後から苦しい思いをする人たちをたくさん見てきた。
おいしい話しなんて恐らくない。
とはいえ努力が必ず実るなんてこともない。
それでも僕は、真っ当に生きるこの子のような人間を応援したい。
この子のような人間に囲まれて未来を作りたい。
尊敬する社会起業家の先輩が言っていた。
「結局生き残るのは”愛嬌”のあるやつや。」
その意味が今はとてもよくわかる。
結果がどうであれ、応援し続けるためにもまずは自分が健康であることが大事。
愛犬のエルちゃんが外に連れ出してくれるので、今日もいい天気を満喫しました。
最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。