オレの敵は、だいたいオレです

おはようございます。
丈がやたら短い短パンブームに真っ向から闘いたい三科です。せめて膝までほしい派のおっさんです。


講演ラッシュもプレゼンもその他の結果発表もある程度終わりに近づき、のんびりと実家にでも帰って仕事をやろうと思ったものの、どんどんと目の前にタスクが降りかかり断念。

何かを始める時、それが誰かとやるならなおさら瞬発力が大事だと考えているので、熱が冷めないうちにとにかく動くようにしています。

毎年色んな変化がありますが、今年は特に今までになかったことが次々と起こっているような気がしていて、これは何なんだろうと振り返るとやっぱり以前からずっとこつこつと仕掛けやきっかけの種を植え続けてきたことが大きいんだなぁと感じます。

だから、今も何年か先にチャンスが訪れた時のためにいっぱい種を植え続けて、毎日それに水をやっていればいつかは花開くかもしれないと今から楽しみなことがたくさんありワクワクしています。

スタッフの人数も増えてきて大変なこともあるけれど、仲間が多い分可能性もどんどん膨らんできているように思います。

例えば、3校合同で今まではできなかった規模のイベントができるようになったり、3校それぞれで質の高い事業ができたり、他のNPOと共同で何かをしたりと、かつて一軒家で数人の子どもたちと好きなことをしまくっていた時とは全然違ってきたなぁと感じています。

もちろんあの時はあの時で今にはないいい部分もたくさんありましたが、目の前の大きな社会課題の解決のために動けていたかといえば、全然ダメダメだったなぁと感じる部分もあります。

そういえば、以前に「居場所」をテーマにした活動報告やパネルディスカッションに登壇依頼があった時に改めて考えたのですが、自分は自分の活動を言葉にする時、「居場所」と表現することに抵抗があるんだなと感じることがありました。

そのイベントでも直接皆さんにお伝えしたのですが、なぜイヤかと言うと「居場所かどうかは本人たちが決めることであって、ここがあなたたちの居場所ですよーって言って場所を提供するのはおかしい」と思っていたからです。

支援者とか支援とかもあまり好きではないのですが、全く使わないかといえば場合によってはむしろどんどん使うタイプの人間です。

どの言葉が適切かということも当然意識しますが、伝える相手に合わせてそんなしょうもない自分のこだわりも捨てることができないと、押し付けがましく支援だ居場所だと言ってる人とやってることは同じとちゃうかと考えています。

聞こえのいい(多くはカタカナや英語だったりする)よさげな流行り言葉に騙されることなく、かと言ってこだわりすぎることもなく、何が大切で何のどの部分に対してどうアプローチしたいのかを考えながら発信できるようになりたいと思った三科でした。

オレの敵は、だいたいオレです。

宇宙兄弟

最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。