必要とされることを必要とする危うさと儚さ

おはようございます。
ご飯は野菜と白米とみそ汁だけでいい三科です。魚があれば最高、田舎者なので和食わっしょいです。

教育に携わって20年以上、20歳になる前から一人で夜回り活動を続けていた謎の大学生だった時から「教育」というものの可能性と恐ろしさはイヤというほど感じてきました。

親の歪んだ愛にしがみつくしか自分を肯定することができない子、愛情やしつけという名の免罪符を掲げた先生や指導者からの体罰を受けながら必死にそこに依存をする子。

これは教育という名の虐待だろうと何度も思い、その度に大人とぶつかり社会を恨んできました。

そうやって何もできないまま愛憎は再生産を繰り返し、取り返しのつかない事態を傍観しながらも支援者を装うことで「自分はそんな教育者じゃない」と本当に言えるのかと考え続けました。

そんなことを自問自答するようになったのは、大学生の頃にたくさんの「支援者仲間」がいたからかもしれません。

当たり障りのない会話を繰り返し、いつも笑顔で優しそう。
積極的に物事をこなしときにリーダーシップも発揮する、そんなボランティアや教育者の鏡のような仲間に違和感を覚えていましたが、うまく言葉にできないまま子どもと関わり続けました。

ある時、一人の仲間が虐待を受けている疑いのある子と接している中で「私はこの子の母親代わりになってあげたい」と言いました。

もっとこの子が他の大人を母親と感じることができるように支援の幅を広げようとの提案です。

僕はそこに違和感を感じ伝えました。

「この子はこの施設でどれだけ愛情を感じ育っても、結局帰る場所は家でありお母さんの元ちゃうん?。それならオレらが母親代わりになるんやなくて、その子が安心して家に帰れるように家族の支援の方法を考えた方がええやろ。」

今考えればもっと言い方があったなと思えなくもないですが、この後彼女は泣き崩れ「私は誰かに必要とされることを必要としている」と言いました。

その言葉を聞いた時、「想いを伝えてよかった」と思いました。

彼女は自分の人生と子どもの人生を同一化し、自分が子どもの頃に必要としていた大人を演じ自分が救われようとしていたと、その後の話し合いで告白してくれました。

「必要としていることを必要とする」ことの危うさと儚さを感じた瞬間でもありました。

僕たちの仕事は、成果が見えにくいからこそ安易に目の前の「正解」に手を差し伸べがちです。

10年20年後に子どもたちが幸せな人生を送るためにも、そんな「正解」は我々が準備するべきではないしそもそもできないという前提に立つことも必要なのではないでしょうか。

だからこそ、時には子どもたちから嫌われ役を演じることも必要だし、敢えて距離を置くことも大切なのかもしれません。

子どもたちから必要とされることに寄りかかり、目の前の「正解」を振りかざすことで自分を保つのではなく、自分以外の誰かのために何ができるかを愚直に考え動き続けると、自然と自分が必要としていた「何か」が身に着くと僕は思っています。

最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。