フリースクールここ設立の経緯
おはようございます。
今日は、最近「なぜ【ここ】を立ち上げたのですか?」と聞かれると同時に、「そのきっかけがわかる記事があれば教えてください」と言って下さることが多かったので、そういえば設立の動機をちゃんとnoteで説明したことはなかったかなと思い、今日は簡単にそのことを記事にします。
路上ライブで出逢った子たち
二十歳前後の頃、プロミュージシャンを目指し梅田の歩道橋で路上ライブをしていました。
多い時だと週に5日ほど、最低でも週に1回は開催していたと思います。
最初はほんの2~3人の人がちらほらと見に来てくれるほどのライブでしたが、続ければ続ける程多くの方にライブを見ていただけるようになりました。
小学生から社会人まで幅広い層の方々が足を止めてくださり、ライブの休憩中にたくさんの方と色んな話しをする機会にもなりました。
そこで出逢った子たちが、いわゆる「不登校」と呼ばれる子たちです。
「学校でいじめられたからもう全然行ってないねん。」
「先生がホンマに苦手やから学校は無理やー。」
そんなことを言う子もいれば、
「家に帰ってもお母さんは働きに出掛けてるからご飯がないねん。」
「いっつもお父さんが酔っぱらって暴力振るってくる…」
そんな子もいました。
ライブが終わり終電がなくなってもその場に残り朝まで過ごす子や、夜の街に出掛け水商売をしに行く子もいます。
人口5000人ほどのドがつく田舎から出てきた僕からすれば、毎日が衝撃の連続でした。
この子たちの話しを聞いているうちに、「自分にできることはないのか」と考えるようにもなりました。
最初は相談に乗ったり自分の考えを伝えるだけでしたが、家庭に介入したり勉強を教えたり楽器を教えたりするようにもなりました。
専門家の力も借りたいと思い、一人で始めていた夜回りに加え警察や青少年活動をしている団体とも連携をしながら、補導された子どもたちにギターやドラムを教える活動もすることになりました。
大学のフィールドワークで出逢った子たち
一方、大学での授業でたまたま出掛けた小学校でその話をすると、変わり者の教頭先生にとても気に入ってもらえ、「三科くんはおもろいな!給食食べに来るついでにうちの生徒たちに音楽を教えてやって!」と言ってくれました。
お金が無くいつも食堂の残ったおにぎりをおばちゃんに頼んでもらっていたので、栄養満点の給食を思う存分食べさせてもらえることはとてもありがたかったです。
その教頭先生は、音楽の授業に入らせてくれるだけでなく、僕たちと一緒に生徒が演奏をする機会として、全校生徒の保護者の前で発表するイベントも開催してくれました。
大学の後輩たちと一緒にそんなイベントをさせてもらったりすることで、ますます子どもたちとの接点が深まりました。
適応指導教室の子たち
大学卒業後、その小学校の隣のマンモス校は不登校の子たちが多く困っていると聞き、「そこの別室登校の子たちのスタッフをやらへんか?」と教頭先生に誘われそのままそこのスタッフになることが決まりました。
しかし、そこは週に2回の勤務だったので別の市の適応指導教室というところでも有償ボランティアの募集があるということを教えてもらい、大学卒業後の生活をどうするかをほとんどこの先生に決めていただくことになりました。
そこで出逢った子たちが、その教室を義務教育が終わる高校進学のタイミングで卒業し、すぐに高校を中退したりひきこもったりする問題があったため、卒業生の居場所が必要だと感じ立ち上げたのが【ここ】です。
路上の子、学校の子、適応指導教室の子。
色んなきっかけで出逢った子どもたちに対して、「自分が動かなければ」とその都度思ってきたことは確かですが、その子たちとずっと一緒に遊んだりすることがそもそもむちゃくちゃおもしろいと感じていたことが、団体設立の大きな動機です。
ずっと大人に向けて敵対心を剥き出しにして喧嘩ばかりしてきたし、子どもを食い物にする大人が許せなくてとにかく無茶苦茶なことをし続けた時期もあったけど、その中で出逢った子どもたちにたくさんのことを学んだ20代で、その経験があったからこそ【ここ】を立ち上げてから色んな危機があったけれど乗り越えることができたのかもしれません。
以上、【ここ】設立のきっかけを簡単に説明しました。
最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。