馬場との出逢い、フリースクール再建へ
こんばんは。
ゴキブリはアリくらい抵抗がないので、怖がっている人との驚き方のギャップがありすぎてちょっとくらいはびっくりした方がいいのかなと思ってしまう三科です。感情が薄いのか。
前回の記事とおんなじくらい聞かれるのが、副代表馬場との出逢いです。
なので、それも記事にしておいて「これ見てくださいー!」と言えるようにしておきたいと思います。
青少年施設の自習室
「ここ」を立ち上げて3年が経ち、行政の施設の民間委託を別のNPOと共同で取ったことで、いいのか悪いのか「ここ」以外での活動をすることになります。いわばライスワークです。
その施設の建設前から吹田市の会議に参加していたこともあり、音楽スタジオにライブ会場、図書館に子育てプラザが一体となった自分たちの理想とする建物ができたと当時はとても喜んでいましたが、そんな簡単にはいかずとにかく色んな人の圧力に耐えながらの運営になりました。
僕たちが担当したのは青少年フロアと呼ばれる3階から6階のスペースで、主に自習室やスタジオを使う子と仲良くなり色んな企画を一緒にしながら建物全体を盛り上げるという役割。
子どもたちと仲良くなるのは誰にも負けなかったので、すぐに色んな中学や高校の子たちとわいわい騒ぐようになりました。
その中のうちの一人が馬場です。
馬場と同じ高校の子と仲良くなり、おもしろいやつがいると紹介されたのが馬場で、恐らく「なにをしてる人なん?」と聞かれたりすることで段々と「ここ」のことを教えることになったと記憶しています。
「ここ」ってなにそれおいしいの?(馬場)
当時の写真がこちら。

全国200万人の馬場ファンの皆さんのどよめきが聞こえてきます。
昔はこんなんでした。
皆でご飯を食べようかと調理をしているところですかね。
「ここ」の原点です。
やってること自体はあまり変わりません。
僕たちと遊び過ぎたのか、高校の先生に怒られながら受験も程々に失敗をしながら大学生になった馬場は、その後もちょくちょく「ここ」に関わってくれていました。
音楽ライブを商店街と一緒にやったりキャンプに行ったり屋台を出したりと、今思えば学生がサークルで好きなことをやっているのと変わらない団体でした。

そんなこんなで大学生をしながら「ここ」にも関わるようになった馬場や、先日結婚式を挙げたともみんと、これ以上運営委託を続けているといつまでも「ここ」がサークルのまんまだと感じた三科が中心となり、「ここ」再建に向けて動き出すことになります。
続きは次回。
最後まで記事をご覧いただきありがとうございました。